"元グローバル人材(電機メーカ社員)"による中学受験なしの奮闘記

アメリカから2015年春に小1、小3帰国後、公立教育を活用して大学を目指す親子の奮闘記

この時代、東大を頂点とする受験ヒエラルキーの競争に参加するのは費用対効果、労力対効果に見合うのか?

疑問です。中学受験がある、だから山に登りますという考え方もあると思います。中学受験をする以上は偏差値ピラミッドに組み込まれます。大手企業ではいまだに東京大学を頂点とするヒエラルキーで学歴フィルタリングを行います。

私も企業の管理職の端くれとして採用の一端を担うことも時折ありますが、応募書類はすべて読み切れないので、聞いたことがある大学の学歴でフィルタされた後のものを見ることが多いです。話したことが通じる、という経験則があるためです。

とはいえ、大学に行かなくても、専門学校で歯科衛生士や看護師のスキルを身につけたほうが、大学に行って事務職に就く場合よりもこの時代、AIによる自動化のリスクからは逃れられる可能性は高い気がします。事務職は自動化のリスクにさらされ非常に不安定な状態に置かれる一方、介護、医療など人と接する仕事はコロナで大変だとはAIによる変化のリスクに耐性があります。お子さんが勉強が得意ならよいですが、得意でない場合、塾や私立中学にお金を突っ込むのはやめて、平均的な地元の公立中学高校に進学して地元の専門学校に行くほうが、かえって賢いのではないかと思います。

フランスでは専門学校の制度が充実しているそうですが、日本は戦後高校は普通科一食でした。高度成長時代はそれでよかったのですが、それではまずいということで高校の「普通科」の改革が行われつつあります。単純労働もしくは準単純労働の範囲がAIによって拡大する中、従来の「普通科」へ何も考えずに飛び込むのは費用対効果、競争激化、とAIによる事務作業の自動化による消滅の将来リスクよく考えたほう多良いと思います。

英検1級は帰国子女にも簡単ではない。

うなづいてくれる人も多いと思います。先日こどもが3度目の正直で1次をやっと合格しました。

小4で帰国したところから英検1級までボキャブラリーとか2年くらい続けたボキャブラリーの対策と帰国子女アカデミーで教えてもらった勉強法でやっとのことで1次合格しました。帰国子女アカデミーは高すぎてコロナ中にやめましたが、高いだけのことはあります。帰国後独学で英語保持していた子供でしたが、英語の世界がぱっとおかげさまで広がったと思います。英検1級は受験料高いので、「筆記だけで1万円」はもう勘弁してほしいと思っていたのでほっとしました。

 

帰国子女は何年生で帰ってきても「(何の努力もなしに)英語ぺらぺらが当たり前、ネイティブ並み」というのは間違いです。内向的であれば英語ぺらぺらではないし、口は日々固まっていきます。生粋の純ジャパの人からすると、英語が少し流ちょうに見えるかもしれませんが、帰国子女の英語力はぺらぺらしゃべっているように見えるものの、中身は見掛け倒しのこともあります。帰国年次によっては、小学校低学年の赤ちゃん言葉はなんとか話せますが、ビジネスや高等教育の現場で通用するアカデミックな話し方、読み書きができないことも多いのです。本当の意味で「ネイティブ並み」に維持しているとすれば、純ジャパの方々と同様、お金と時間と根性で維持しているのが実情です。英検1級とれれば「ネイティブ並み」かというと違います。それでも帰国子女のだれにも英検1級が取得が簡単というわけでは決してないです。高校や大学くらいでSAT受けて帰ってくるくらいだと「簡単」という人もいるのかもしれませんが、英検一級が簡単に取れるというならSATでもそれなりの点数をとれる努力をしたか、努力せずにとれたそもそもが明晰な頭脳の持ち主だと思います。

9月入学を知らずに議論する素人政治家たち

9月入学になると、9月前後で学年が切れるわけです。

例えば2020-2021年の場合、アメリカのある学校区では下記が6年生です。

1st October 2008 – 30th September 2009 

そうなると、どうなりますか?2008年の4-9月の誕生日の人は5年生をもう一回になります。もともと昨年度同学年で4月から6年生で一緒になる人だった人たちとも分かれ分かれで大混乱。子供の負荷を下げるどころか、負担を上げるだけです。第一波、第二波がきたら授業はまたストップです。9月入学は何の解決にもなっていないです。これを言っている政治家(思慮の浅い国会議員、大規模地方自治体首長等)はまったくセンスないです。

それよりも根本的な解決方法はICTリテラシーを上げることです。

 

民間英語テストに反対する亡霊が復活

既に死に体の英語教育だったはず。頭の固い亡霊たちや、変化に対応できない高校生や教師が騒ぎ始めたようだ。

元海外駐在員として、現場で活用できる英語力を測るのに民間テストを活用する方がよいに決まっていると断言する。センター試験英語はダメダメです。文部省系の英語教師の作った英語の試験は実用英語試験の前では無力だ。

不公平というなら、補助を考えればよい。米国では年収300-400万程度までは無償だ。

地理的な不平等?家で本やCD,DVDを買って何度でも練習できるだろう。テストを何回も受けに行かないとダメというのは違う。もう、アホかと。。萩生田さん、亡霊を呼び覚ました罪は大きい。このままだと、日本の英語力をまた何年か針を戻すことになるからです。

今回、亡霊のように声を上げ始めた元文部大臣達は、誰の利益を代表しているつもりなのか、間違いなく、日本のグローバル化を阻む「抵抗勢力」ですね。

 

 

リスニングなんて中途半端にやっても意味ない。もっとリーディング、ライティングを。

英語狂想曲がとまらない。小学生で英検3級は当たり前になりつつある。

海外駐在員はグローバル人材であるなら、私はグローバル人材の経験者の端くれである。「語学」はできない人から見れば、出来る人は神様に見える。「外国語」なんて適当にやればよいとおもっている。例えばリーディング&リスニングでTOEIC700程度とっておけば、必要なら、その時にできるようになるものだ。TOEICなんて、800とっても、900とっても、それだけでは使えない。現場では予期しないことの連続で、800とってから現地にいっても、現地にいってから獲得する力はその5倍いやそれ以上である。極端に英語獲得の時間を日本で使うよりかは、素地だけ暖めておいて、実践は現地で十分な気がする。少なくとも駐在一回目の若手や中堅の場合。

国の音頭に乗るのはよいが、のめり込みすぎて、国語や数学をやる時間は決して削ってはならない。はっきり言って、簡単な通訳など既にipadなどコンピュータが出来る時代だ。聞き取りも既にかなり向上している。国語や数学などをしっかりやる時間を確保しているならよいが、コンピュータにできることにあまり力を先過ぎることに疑問を感じる。

 

次に、グローバル人材の現場では、リスニング力は3か月も現地にいれば耳が慣れる。

必要なのは、母語の論理的な思考力、相対した時に自分から話しかけるコミュニケーション力、説得する精神力であって、第一義的には母語でそれを磨くべきで、「外国語専門に依存した知識やスキル」ではない。「数学や国語があまりできない人材で外国語がちょっとできます」という人材には需要がほとんどない。そのような人材は、グローバル人材の現場ではリスニングの能力スキルは非常に安く調達できる。そこらのアルバイトの学生に英文チェックだけであればお願いできる。さらに、口語であれば、アメリカでは大学を出ていない日系人も結構多く、比較的安価に仕事を頼むことが出来るが、あまりそのような仕事は発生しない。ビジネスの現場で発生するのは、ビジネスの数字、法律、政治知識を総動員して、コミュニケーション能力(むしろ、ソシアルの言語に依存しない)を駆使して交渉する力、問題を解決する力であり、単純なリスニング力や英語であいさつする力ではない。現時点の英検、TOEICや大学入試でそれを問うのはほぼ不可能である。

また、私の会社の日本の本社のビジネスの現場で大量に発生するのは、英語日本語に関わらず大学または大学院以上の知識(数学、国語、理科、社会)が必要な英文の「文書」である。それを「読んだり、書いたりする能力」が必要である。TV会議もするが、8割以上はメール等で済む。リスニング、スピーキングは必要最低限にして、読み書きができる、大学レベルの教科知識がある、それを前提として、やれば十分だと確信する。いまは、グローバル人材のビジネス現場では価値をあまり有しない「中途半端なスピーキングやリスニング力」にあまりにも大量にひょっとすると無駄な時間をかける方向に英語教育が暴走しているように見えてならない。恐らくは、英語のリスニング、スピーキングを極端にやってこず、苦労した英語教育者のトラウマの反動なのかもしれないが、日本の英語の教育や入試改革の方向性がビジネスの現場のニーズと解離した方向に走っていることは確かなようである。

スピーキング、リスニングが全く無駄とはいいません。

数学、母語で考える力(国語)、理科、社会をやる時間がとれないほど、英語のスピーキングやリスニングをやっても、私の会社(グローバルに事業を展開する製造業)では大学レベルのの知識(まずは読み書き必須)を生業とするグローバル人材の現場のニーズは「ほとんどない」と思いま。

小学校の英語教育 四技能強化などなど狂想曲

米国に5年海外駐在員として滞在して帰国して3年たちました。

中学校や大学では英語の配点を下げて、国語(日本語)の配点を上げるべきだと思いますがどうでしょうか。私の経験でも、帰国子女は、第一言語の習得の確立をまず行い、第二言語を次に確立します。人間の脳は、バイリンガルでも思考言語というのがあります。思考言語での論理的な四技能、中でも読み書きを強化する必要があると思います。本当にバイリンガルを目指すと、どっちつかずになり通常の人は失敗してしまうのです。例えば、年不相応な英語・日本語になり、思考言語力が落ちると数学の知識がINPUTできなくなり悪循環になります。インターナショナルいって途中で失敗、つまり、第一言語は日本語にしたいことに後で気づいて慌てる例もあります。

このところのグローバル人材育成とやらで小学校から英語教育というのはよいと思います。ただし、英語が急速にコモディティ化していることを理解して、第一言語の力を第一に鍛えた余力で行うのであれば。義務教育を受けていれば半数以上が英語で日常会話が出来る時代。海外旅行であれば、すでにGoogle先生が何語にでも翻訳する時代。優秀な人材を輩出するために教育の質を上げて国の力をあげるためにというのであれば、「英語だけ」に力を入れすぎるのは得策ではないと思えます。私も海外で生活したのでわかるのですが第二言語は必要になれば出来るものです。必要ない人ができなくても弊害はないです。今後も英語は必要でない人もいるわけで、英語ができない人は必要ないからその人は英語が出来ないのです。英語を必要としない人への英語の押し付けは戦後普通科教育延長線上のの弊害と無駄な私的および公的な投資にしか見えません。受験の配点が増えているのでそこが問題ではありますが。

最近の国語軽視というか、Japanese Passingな風潮で、海外で生活したグローバルビジネスマンおよび帰国子女の親の視点から、ちょっと心配なので書き込んでみました。