"元グローバル人材(電機メーカ社員)"による中学受験なしの奮闘記

アメリカから2015年春に小1、小3帰国後、公立教育を活用して大学を目指す親子の奮闘記

今後通訳がAIで自動化されるのに英語教育を国語(日本語)教育より優先する愚

英語教育ブームです。日本人は極端で、小学校でも英語に点数をつけて外国語活動もはじまるとのこと。大学入試でも国語の配点が下がって英語の配点を上げる大学が増えてきています。私はこれを非常に危惧しています。

いまの子供たちが大人になるころには、AI(ディープラーニング)による自動翻訳で簡単な通訳はiPadやコンピュータがしてくれます。大学入試で問われる程度の英語力はあってもなくても変わらない気がします。せいぜい、計算のプロとしてパソコンが発達した昨今、そろばんの価値が落ちないのと同様、英語が得意でAI使わずに瞬発的に英語を使える特技程度のめずらしさでもって受け入れられる程度のものに過ぎません。そのような特技程度の英語に、なぜこれほどの時間とお金をかけるのか?首をかしげたくなります。

AIがやっていることは、あるパターンをたくさん事前学習させて学習モデルを作り、適切な入力すると、予想結果を出してくれることです。入力から出力を出す際には、方程式を解いているだけです。方程式の係数を適切なものに最適化するのが、学習です。モデルが、クローズで完全なデータを集めることが出来る前提であればAIは最強かもしれません。例えば世界中の英語の使われ方を網羅することは不可能ではないので、英語の翻訳や通訳においてはAIが通訳にとってかわる可能性があると思います。一方、現実問題として、完全なデータを集められる局面はすくなく、真の意味での推論は現在のAI技術では解決が出来ません。データの入力が少なくても、いわゆる常識を使って一般的でごくごく簡単な質問に答える、ドラえもんのような人工知能は実現不可能です。

 

その一般常識を使って論理的に答えることができないのです。

例えば交番の数と犯罪件数の数に「正の相関関係」があったとします。人間であれば、常識を使って交番の数が多いから犯罪の件数が多いという「因果関係がある」とは判断しませんが、AIはそのように判断する可能性があります。これは分かりやす過ぎる例ですが、「国語力(因果関係の推論力・論理力)」というのはそのようなものだと私は考えています。

AIで自動化可能なレベルの英語はやめて、「国語力(因果関係の推論力・論理力)」をまず前提として身に着けるべきだと私は強く考えます。子供にもそのように言い聞かせています。