"元グローバル人材(電機メーカ社員)"による中学受験なしの奮闘記

アメリカから2015年春に小1、小3帰国後、公立教育を活用して大学を目指す親子の奮闘記

リスニングなんて中途半端にやっても意味ない。もっとリーディング、ライティングを。

英語狂想曲がとまらない。小学生で英検3級は当たり前になりつつある。

海外駐在員はグローバル人材であるなら、私はグローバル人材の経験者の端くれである。「語学」はできない人から見れば、出来る人は神様に見える。「外国語」なんて適当にやればよいとおもっている。例えばリーディング&リスニングでTOEIC700程度とっておけば、必要なら、その時にできるようになるものだ。TOEICなんて、800とっても、900とっても、それだけでは使えない。現場では予期しないことの連続で、800とってから現地にいっても、現地にいってから獲得する力はその5倍いやそれ以上である。極端に英語獲得の時間を日本で使うよりかは、素地だけ暖めておいて、実践は現地で十分な気がする。少なくとも駐在一回目の若手や中堅の場合。

国の音頭に乗るのはよいが、のめり込みすぎて、国語や数学をやる時間は決して削ってはならない。はっきり言って、簡単な通訳など既にipadなどコンピュータが出来る時代だ。聞き取りも既にかなり向上している。国語や数学などをしっかりやる時間を確保しているならよいが、コンピュータにできることにあまり力を先過ぎることに疑問を感じる。

 

次に、グローバル人材の現場では、リスニング力は3か月も現地にいれば耳が慣れる。

必要なのは、母語の論理的な思考力、相対した時に自分から話しかけるコミュニケーション力、説得する精神力であって、第一義的には母語でそれを磨くべきで、「外国語専門に依存した知識やスキル」ではない。「数学や国語があまりできない人材で外国語がちょっとできます」という人材には需要がほとんどない。そのような人材は、グローバル人材の現場ではリスニングの能力スキルは非常に安く調達できる。そこらのアルバイトの学生に英文チェックだけであればお願いできる。さらに、口語であれば、アメリカでは大学を出ていない日系人も結構多く、比較的安価に仕事を頼むことが出来るが、あまりそのような仕事は発生しない。ビジネスの現場で発生するのは、ビジネスの数字、法律、政治知識を総動員して、コミュニケーション能力(むしろ、ソシアルの言語に依存しない)を駆使して交渉する力、問題を解決する力であり、単純なリスニング力や英語であいさつする力ではない。現時点の英検、TOEICや大学入試でそれを問うのはほぼ不可能である。

また、私の会社の日本の本社のビジネスの現場で大量に発生するのは、英語日本語に関わらず大学または大学院以上の知識(数学、国語、理科、社会)が必要な英文の「文書」である。それを「読んだり、書いたりする能力」が必要である。TV会議もするが、8割以上はメール等で済む。リスニング、スピーキングは必要最低限にして、読み書きができる、大学レベルの教科知識がある、それを前提として、やれば十分だと確信する。いまは、グローバル人材のビジネス現場では価値をあまり有しない「中途半端なスピーキングやリスニング力」にあまりにも大量にひょっとすると無駄な時間をかける方向に英語教育が暴走しているように見えてならない。恐らくは、英語のリスニング、スピーキングを極端にやってこず、苦労した英語教育者のトラウマの反動なのかもしれないが、日本の英語の教育や入試改革の方向性がビジネスの現場のニーズと解離した方向に走っていることは確かなようである。

スピーキング、リスニングが全く無駄とはいいません。

数学、母語で考える力(国語)、理科、社会をやる時間がとれないほど、英語のスピーキングやリスニングをやっても、私の会社(グローバルに事業を展開する製造業)では大学レベルのの知識(まずは読み書き必須)を生業とするグローバル人材の現場のニーズは「ほとんどない」と思いま。